ヒノキには地域によって様々な種類があります。今回から1記事ずつ紹介します。

 

三大ヒノキのひとつ「吉野檜」

吉野檜は、三大檜「吉野檜」「東濃檜(木曽・東濃檜)」「紀州檜」のひとつです。生息地は、奈良県の中央に位置する、吉野郡の吉野川、北山川、十津川流域です。生息領域は、56000ヘクタールとかなり広いです。

 

吉野ヒノキの特徴

吉野檜は、寒暖差の激しい山間部の厳しい環境で育ったため、年輪の幅が小さく(1cmに8年輪以上)、均一で強度が高いという特徴があります。見た目の特徴としては、節が少なく、 芯を中心に木目が縦に真っ直ぐに通っており、光沢があり美しい色をしています。

 

吉野地域の林業の歴史

吉野地方の林業の歴史は、1500年ごろの足利末期に造林が行われたことから始まります。その後、豊富秀吉が領土を保有し、地域の城郭建築、その他社の普請用材の需要が増加し始めました。徳川家康の時代には、住民の生業は木材の伐出流送によって維持されました。

その後、集約的に造林が進められ、この地域の木材は「吉野ブランド」として住宅用造作材としての産業が現在も続いています。

吉野材は、周辺の関西圏だけでなく、全国へ出荷されています。

 

吉野は桜の名所

吉野にある吉野山は桜の名所です。

修験道(山に篭って厳しい修行に耐え、悟りを開くこと)の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が、修行の結果、金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)を出現させ、桜の木で蔵王権現像を彫ったと言われています。

以降、行者は桜の木で彫刻をするのが習わしとなり、桜の苗を寄贈する者がふえ、木を折る者を罰するなど、愛護が行われた結果、桜の木が増えていきました。

吉野は、昔から桜の名所とされており、平安時代の古今和歌集には、桜の名所として謳われた記録があります。

 

み吉野の山べにさける桜花雪かとのみぞあやまたれける」(紀友則)

 

西行法師や松尾芭蕉など多くの文人が吉野の桜について詠んでいます。

 

「吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ」(西行法師)

 

日本各地で見られる「ソメイヨシノ」という桜は、江戸の染井町の植木屋さんが作り出した品種です。それが吉野の桜のように美しいということで「ソメイヨシノ」と名付けられました。

吉野の3万本の桜は、ソメイヨシノの割合は小さく、ほとんどがシロヤマザクラです。

1594年には、豊臣秀吉が5000名を集めて花見を行ったという記録もあります。

 

エステックアソシエイツでは、三大ヒノキの吉野檜も活用して、長持ちする檜風呂を製作しております。