琉球を感じる沖縄随一の人気スポット「首里城公園」
首里城は、沖縄県那覇市の首里にある、かつての琉球王国のお城です。詳細は明らかではありませんが、13~14世紀に建てられ、琉球王国の国王が住んでいたと言われています。
首里城が建設されている首里城公園は、標高120~130メートルの小高い丘に位置しており、那覇の町を見下ろすことができます。
年間500万人以上が来園する、沖縄県の人気スポットです。
首里城の歴史
首里城は、琉球王国消滅後も国宝として保存されていましたが、1945年の沖縄戦の激しい攻撃により焼失してしまいました。日本軍が首里城の地下に司令部壕を置いていたので、アメリカ軍に狙われてしまったのです。
そして戦後には、その跡地に琉球大学が建設されたことで、首里城は完全にその姿を消しました。
その後、沖縄県民にとって重要な首里城周辺の古都の面影を復活させようと、守礼門などの復旧工事が始まりました。
1980年代前半に琉球大学の移転が行われ、1980年代末より、首里城の全体的な復旧工事が始まりました。
現在残っているのは、復元された首里城なのです。
首里城の復元
首里城の復元は、国営公園事業として、首里城一帯を公園にすることになりました。首里城の中でも特に規模が大きく構造が特殊だったのが「正殿」でした。
正殿の復元には、県内では調達できないほどの大量の太径材が必要でした。その時に使用されたのが檜(タイワンヒノキ)です。檜は、非常に太く立派で、日本の伝統的な建築物にもよく使われている木材です。
檜で建設された建物については過去のブログでも紹介しました。
また、台湾の檜は日本の檜よりも樹齢が長く、巨大な檜もたくさんあります。
しかし、当時の台湾では、檜の伐採を制限しており木材価格は高騰が予想されていました。その中でも、首里城復旧のための予算を確保できたため、台湾の木材業者が調達を約束してくれました。数年後、タイワンヒノキの価格は3倍に高騰しており、少しでも調達が遅れていたら、復旧は難しかったかもしれません。
そして、1989年から正殿の復旧工事がスタートしました。3年後の1992年、正殿が完成し、首里城公園として開園しました。
1997年には入園者1000万人を突破し、復元された首里城は、沖縄の人気スポットに生まれ変わりました。