これまで2回に渡って、銭湯の歴史を書いてきました。
江戸時代は混浴が当たり前だった!銭湯(檜風呂)の歴史を振り返る②
今回は、銭湯のお風呂の形式について振り返ります。現代は、タイルでできたお風呂が最も一般的ですが、江戸時代は木でできたお風呂(檜風呂)が一般的でした。「木でできたお風呂」と一口に言っても、時代によっていろいろな形式があったようです。
江戸時代初期のお風呂「戸棚風呂(とだなぶろ)」
銭湯のお風呂の一番初期の形式は、「戸棚風呂」と呼ばれていました。銭湯は、最初はサウナ形式の蒸し風呂が中心だったのですが、次第にお湯つきのお風呂が好まれるようになり、増えていきました。戸棚風呂は、蒸し風呂の延長のようなお風呂で、膝丈程度のお湯を張り、下半身だけお湯に浸かって、上半身は湯気で温めるというものです。そのため、湯気が逃げないように引き戸が付いていました。見た目は扉つきの小さい箱のようなお風呂で、引き戸が戸棚のようだったので「戸棚風呂」と呼ばれました。
石榴口(ざくろぐち)の登場
戸棚風呂は、扉の開け閉めが激しいとその度に湯気が逃げてしまうので、その欠点を解消しようと「石榴口」というものが登場しました。入り口に高さの低い板を置いて、くぐるようにして入るとその中に湯船がある、という形式です。石榴口という呼び名は、この潜って入る「かがみいる」と「鏡鋳る」をかけてできた呼び名と言われています。昔、鏡を磨くのにザクロの実を使ったためです。
明治には今の銭湯に近づいてきた
石榴口の銭湯は今の銭湯とは大きく違って、浴室は真っ暗だったようです。そのため、治安の悪さも課題になっていました。今の明るく開放的な銭湯とは大違いですね。明治になり、石榴口が撤廃、湯船と洗い場が同じ空間にある「改良風呂」が登場しました。明治18年に、明治政府は石榴口を禁止し、改良風呂にするように取り締まりました。この時も、まだタイルは登場しておらず、お風呂も脱衣所の床や壁も全て木です。当時は、タイルはまだ高級品だったのです。
大正時代〜タイルの登場〜
そして、大正10年にタイルが登場します。木よりも腐りにくく、掃除も楽になりました。現代では、ほとんどの銭湯がタイル張りになっており、木でできた脱衣所や檜風呂は貴重なものとなっています。