三大ヒノキの情報をお届けするシリーズ、最後の紹介は、「紀州檜」です。

紀州檜の産地

紀州檜の産地は、三重県南部と和歌山県に位置する地域です。先日紹介した、吉野檜の産地の西南に位置しています。和歌山県は、県土の77%を森林が占める、林業が盛んな県であり、昔から「紀州・木の国」と呼ばれ、林業で栄えてきました。

 

紀州檜の「紀州」って?

「紀州」は、江戸時代の紀伊国と伊勢国の南部を治めた藩の名前です。別名「紀伊藩」とも呼ばれます。藩主は、徳川御三家の1家、紀州徳川家です。元々は浅野家が治めていた地域でしたが、1619年ごろに浅野家が広島藩に移されると、徳川家康の十男、徳永頼宣が領地を与えられ、徳川御三家が治める紀州藩が成立しました。

紀州材と徳川家の関わりは深く、徳川家康が江戸幕府を開いた頃の江戸城改装や諸国大名屋敷、神社仏閣の建立に紀州材が使われたようです。

江戸時代に、紀州で積み出された木材は、87%が廻船を使って江戸に運搬されていました。

 

和歌山県の紀州材の歴史

明治になると、機械製材所が建てられるようになり、明治21年に県内初となる製材工場が建てられると、明治30年には10ほどの工場が誕生しました。

大正時代にも工場数は増えていき、大正12年の関東大震災を受けて木材の需要が急増したため、和歌山県から東京へ復興用の木材が供給されました。

しかし昭和の戦時中は、木材統制が敷かれたので、自由な製材活動ができなくなりました。

戦後は、復興のため、木材の需要が増え、工場の数も増えていきました。高度経済成長期を経て、昭和45年に県内需要量のピークを迎えました。

しかしその後は、外国からの木材の輸入も増えていき、国産材の割合は徐々に減っていきました。

 

紀州檜の特徴

紀州檜の大きな特徴は、「粘り強さ」です。粘り強さとは、木材を折り曲げた時に、どのくらい耐えられるか、というもので、圧縮・引っ張り・曲げ・せん断において、国土交通省が材種ごとに定めた強度等級(ヤング係数)を使って実験した検証結果があります。

実験結果によると、紀州檜のヤング係数の分布は、全体の91.5%が全国基準値を上回るE110以上となりました。

また、紀州檜は、油脂分が多いという特徴もあります。油脂分は、アロマオイルとしても活用されて、切りたてのヒノキは時間がたつほどに美しい光沢が出てきます。

 

エステックアソシエイツは油脂分の多い紀州檜の赤身材も活用して、耐久性ある檜風呂を製作しています。