受験の合格祈願として、学問の神が祀られている神社に行く方が多いと思います。学問の神で有名な菅原道真が祀られた京都市の北野天満宮についてご紹介します。

北野天満宮の歴史

太宰府天満宮の記事で紹介した通り、菅原道真は、太宰府に左遷され、その地で没しました。道真の死後、都で疫病や異常気象などが多発し、道真の祟りとして道真公が眠る太宰府天満宮を中心に様々な祀りが行われました。道真が没した903年の44年後の947年現在の北野にあった朝日寺の最鎮らが朝廷の命で、道真を祀る社殿を造営し、朝日寺を神宮寺としました。987年には、一条天皇から「北野天満宮」の勅号が贈られました。

しかし1444年、室町幕府の攻撃を受けて天満宮は焼け落ちてしまいます。北野天満宮は歴史の中でなんども火災に遭い、そのたびに朝廷や将軍家によって造営修繕されてきました。

1587年には、豊臣秀吉が北野大茶湯という大規模な茶会も開催しました。現在の北野天満宮の本殿は、豊臣秀吉の遺命により、1607年に豊臣秀頼が造営したものです。

北野天満宮では、道真公の薨去50年ごとに「大萬燈祭」、25年ごとに「半萬燈祭」が開催されています。

 

北野天満宮の檜皮葺

北野天満宮の屋根は、「檜皮葺(ひわだぶき)」でできています。檜皮葺とは、檜の樹皮を使って屋根を葺く日本古来の技法です。檜皮葺は、なんと飛鳥時代の発祥で、平安時代に普及、貴族の住居や寺院の屋根に使われていました。檜皮葺は、茅や藁に比べて高級なため、民家ではなく、宮殿や神殿、神社仏閣に多く取り入れられてきた技法です。

北野天満宮の尾根の面積は1,380平方メートル(約500坪)、檜皮は70万枚、50トンです。1996年から6年かけて社殿の改修を行い、2002年の3月6日に、千百年大萬燈祭でお披露目されました。

北野天満宮には、屋根だけでなく、建物の一部も檜が使われているそうです。

 

北野天満宮の特徴

北野天満宮には、牛の像がたくさんあります。その理由については諸説あり、道真と関係がある説と無関係であるという説があります。道真が関係している説によると、道真の生まれ年が丑年だった、道真は牛に乗って太宰府に向かった、道真の墓の場所を牛が決めたなどといった理由があります。現在は、無関係であるという説の方が有力で、北野天満宮がもともと農耕の神を祀る神社として創設されたことから、牛を祀ったため、と言われています。

また、北野天満宮の本殿は、現存最古の「権現造り」です。権現造りとは、本殿と拝殿の間を石間が繋ぎ、拝殿の左右に楽の間が2つあり、3つの破風があり、合計8つの棟から成る造りです。別名八棟造りとも呼ばれます。日光東照宮や豊国神社も同様の造りです。

 

北野天満宮を長年支えているのは、伝統技能を持つ、宮大工さんや檜皮葺の職人さんの活躍です。
エステック アソシエイツの風呂職人も檜風呂を通じて日本文化を継承して参ります。